まえがき
小説「高熱隧道」
吉村昭氏が1975年(昭和50年)に新潮社より発表された「記録文学」である。
日本電力黒部川第三発電所建設において、仙人谷ダムからの水路並びにダム建設の資材運搬のための隧道建設に従事した男達の物語である。この小説で触れらている二つの災害。志合谷と阿曽原で発生した泡雪崩をこの小説のクライマックスとして書かれたことで、泡雪崩とこの隧道の存在を知らしめたこととして、現在でも評価が高い小説である。
私自身は、関西電力が毎年開催している黒部ルート見学会の参加をきっかけに予備知識としてこの小説を購読し、当日の現地説明においてもこの小説を引用する場面があった。その後、他のブログでこの小説を紹介する、あるいはこの小説の記述を「ソース」として引用されているのを閲覧していく内に、自分の中で違和感を感じるようになった。
そこで、小説の描写が事実がどうかを実際に検証するに、
1)当時の生存者の証言、あるいは周辺関係者の証言
2)当時の報道
3)本工事に関わる記録や書物による調査
であるが、一会社員であるブログ主においては、1)と3)の調査は不可能であり、残る2)についてだけでも調べてみる価値はあると考え、当時の新聞報道を調査することとした。その後、調査の内に1)が記録された著作物もあり、それらと合わせて、当時の状況を以下にまとめた。
1)志合谷における、報道記事並びに著作物から事実関係と小説との相違点
82年前の昭和13(1938)年12月27日午前3時20分頃。黒部峡谷の志合谷で泡雪崩が発生。黒部第三発電所建設に従事していた70数名が生埋めとなり、三十数名を遺体で発見、47名(当時報道)が行方不明となった。30日までに発見された遺体の内、近隣の者はそのまま遺族へ引き渡され、遠方の者は入善町の寺にて検死後に荼毘にふされた。
小説では、生き埋めとなった者すべてが見つからなかったとあるが、半数は発生から3日の内に遺体で収容されている。また奇跡的に救出された者も宇奈月へ下山し、手当を受けている。
その後も救出活動は続くも、折からの大雪が収まる気配がなく、31日で捜索中止となった。年明けに再開されたものの、捜索は一時の規模で行われなかった模様で、結果残りの行方不明者の大半は見つからないままとなっている。この点も小説と異なる点である。
また、その後の調査や当時いた現場労働者の聞き取り調査から、泡雪崩で破壊された宿舎は志合谷から対岸尾根に吹き飛ばされたもので、小説に描写された奥鐘山の岸壁に叩きつけられた事実はないと推定している。この点について、4月30日までの新聞記事においても取り上げられていない(これほどのショッキングな出来事なら、続報として記事になる)ことからも推測される。
2)阿曽原谷における、報道記事並びに著作物から事実関係と小説との相違点
昭和15(1940)年1月9日14時頃。阿曽原谷で泡雪崩による旋風が発生。宿舎上方に植生していたブナが旋風で引きちぎられて、宿舎へ倒れた。小説では矢のように空から降って突き刺さったとあるが、これは事実でない。倒木により宿舎は押しつぶされ、続けざまの旋風によって3階以上が吹き飛ばされ、宿舎は倒壊した。その後3階と4階にあった火鉢が火元となって宿舎は全焼した。
1月11日までに25名の遺体を発見し収容した。その後現場指揮の警察官の判断により、現地で荼毘に付された。小説では、現場で遺族の確認後に荼毘に付せずに引きとらせたとあるが、これも事実でない。
3)小説が事実として捉えられた背景
これらの災害は、当時の地元紙では続報含めて三面記事でかなりの紙面を割いて報道したが、全国紙においては第一報は三面記事のベタ記事扱いで、かつ翌日以降の続報もされなかったことで、地元以外では忘れられた災害として人々の記憶から消えてしまった。戦後になっても本件を調査してまとめた著書が知られてない、あるいは追跡報道がほとんどなかった、もしくはテレビ等のドキュメンタリーで扱ったとしても映像が残らず伝承されなかった可能性から、小説「だけ」が記録として残り、小説の描写の「すべて」が真実であると、誤解を招く結果をもたらしていると考えている。
4)終わりに
上記のソースは、当時の富山日報(現北日本新聞)並びに北陸日日新聞(現北陸中日新聞)からそれぞれ確認した。本来であれば、元記事紙面の画像なり記事の抜粋をすることで、よりリアルに知ってもらいたかったが、発行元の新聞社の許可が得られなかったため、上記の通り事実のみを記載した。当時の新聞は富山県立図書館で閲覧可能なので、機会がある方は読んでみてほしい。
そして、ここで「著作物」として取り上げた資料は、当時の現場労働者等の聞き取りと報道資料から調査された清水弘著の「真説高熱隧道」である。「高熱隧道」以外での資料としてソースとして取り上げた。小説「高熱隧道」を読まれた方は、こちらの資料もぜひ読んで欲しい。リンクは直リンクになるのでリンクは張らないが、「真説高熱隧道」で検索するとヒットするので、個々で検索して欲しい。
〇参考資料
富山日報(現北日本新聞)並びに北陸日日(現北陸中日新聞)
志合谷災害:昭和13年12月28日~31日。昭和14年1月1日~4月30日
阿曽原谷災害:昭和15年1月10日~13日
「真説高熱隧道」:清水弘 著 北海道地区自然災害科学飼料センター報告書、7より
「黒部峡谷高速なだれの研究1~5」清水弘他 共著 北海道大学低温科学研究所