381系化直前の1982年3月。父とともに大阪方面へ旅行に連れて行ってもらった帰り、当時食堂車のあった「やくも」にどうしても利用したく、父にねだって利用した思い出があります。
その時に撮影した車内の写真が残ってました。

キャノン データルクスA35 特急「やくも」キサシ180車内
乗車した「やくも」は15時台だったので、食事をすると言うわけにはいかなく、父はコーヒーを、自分はジュースとサンドイッチを注文していたのが、別カットで残ってました。
その後、1982年7月に381系化されてキサシ180は過去の車両となり、当時小学生だった自分にはその後の車両の処遇を知るすべもなく、月日が流れていきました。
そして1985年の12月。日帰り旅行として境線を訪れた際に、大篠津駅に留置されていたキサシ180を発見。運用から外れて3年もたって未だ解体されずに留置されているとは思いもよらぬ出来事でした。

キャノン A35 デートルクス 大篠津駅
ここには、キサシ180以外にDD51やキロ28も余剰留置されていました。

キャノン A35 デートルクス 大篠津駅
最近になり、イカロス出版から「幽霊列車~日本と世界の廃車図鑑~」という、国鉄末期に行われた余剰車両の整理と廃車回送、解体までの一連の動きを調査した、素晴らしい本が発売されました。その中に大篠津駅の留置車両の内訳についても元資料で紹介されており(よくこういう資料を見つけたものと感心しました)、この2枚の写真に写っている車両の形式等も判明しました。
資料と突き合わせると、1枚目のキサシ180については、手前からキサシ180-6、13、12。2枚目の画像は、手前からDD51-49、726、34、キサシ180-12・・と続きます。隣はキロ28-2173、2163、キサシ180-10、11、8でした。
なお、キサシ180は償却の関係ですぐに廃車できず、結果1988年頃まで留置されていたとか。
わずかな記憶しか残っていなかったキサシ180について、残ってたネガからこうして記憶を呼び戻すとともに、後世に伝える一助として、記事にしてみました。