序章
ひょんなことから、湯涌温泉百楽荘に宿泊することに。
湯涌温泉百楽荘に宿泊するにあたり、「花咲くいろは」のモデルとなった舞台であることから、アニメ「花咲くいろは」「劇場版花咲くいろは~Home sweet home~」を一気見して、先日完結した「小説 花咲くいろは~いつか咲く場所~」編を読みました(宿泊時は5話まで)。「花咲くいろは」自体は、のと鉄道のラッピング車の撮影とぼんぼり祭りがあることぐらいしか知識がなく、いつかはアニメを一気見と湯涌温泉の宿泊を思って機会を逃しておりました。そこで、この機会に一気見と続編を読むこととなりました。さらに帰宅後には「百楽荘」の歴史と前身の「秀峰閣」との関係を調べていく内に、私自身含めてシリーズ通して「花咲くいろは」で描かれた周囲の出来事と無関係でないような想いが浮かび、百楽荘での宿泊の体験と含めてここにまとめることにしました。
1)百楽荘宿泊記
今回「秀峰閣」改め「百楽荘 -彩心IROHA-」となった当旅館に宿泊しました。湯涌温泉自体は前述の通り行きたいと思っておりましたが、限定室数ながら「超」格安(といっても元々が高級旅館の値段なので、それでもいい値段しますが)料金が「こっそり」設定されたのをひょんなことから見つけ、設定金額を見て直近の最安の日を決めて即予約となりました。なお、予約の2日後には2か月先まで予約済みとなってました。
宿泊当日。能登と異なり、金沢駅から30分程度で行けるのが良いです。とは言え、平日でしたので仕事を早々に切り上げて19時のチェックインに間に合うように、妻とともに車で向かいました。
到着後、チェックイン。本来ならスタッフが付きっ切りでの対応でしたが、コロナ対策方針として最低限の対応と接触、部屋へは自分で向かうというスタイル。多分通常の高級旅館やホテルの応対を期待している人には、がっかりするかもしれません。逆に、接触を気にする人には素晴らしい対応と称賛するでしょう。ちなみに、別のプランでは夕朝食を部屋の入口までの用意で、自分で部屋に持ち込んで部屋に籠りっきりで、スタッフと一切接触しないというものもあります
Jr.スイート全景。奥に見える一角が室内風呂
チェックイン後すぐの食事でしたので、着替えもせずに早々へ食事会場へ。こちらは高いパーテンションで個室部屋のような作りにして他の宿泊客に気兼ねなく食事できる環境です。
食前酒での乾杯の後、前菜から頂きます。献立を見ると9品?で、一品一品は「あれこんなもの?」な量ですが、通しで食事するとそれなりのボリュームになります。結構空腹での食事でしたので、ついつい食のペースが速く、次の料理まで待たされることがしばしば。ゆっくり語らいながら食事するペースを想定しているからでしょう。あ、悪い意味じゃないですよ(笑)。
お酒は別料金ですが、まあまあいい値段します。なので、特に遠方から来た方なら、ビール以外の地元産の日本酒や焼酎、梅酒がよいかと。ビールはどこでも飲めますから。前述のとおり翌日のことがあったので、梅酒2杯程度にとどめました。いつもなら日本酒を浴びるほど飲みますが・・・。
本来なら一品ごとの写真を紹介することでしょうが、電車を撮ることにはそれなりに自信はあっても料理の物撮りは途端にヘタれるほど映えない写真に。とても公式のような写真は撮れません(泣)。とはいえ、その中でお刺身の盛り合わせを。
「花咲くいろは」で皐月が料理のことで言及した場面がありましたが、ここでは魚ごとにお薦めの調味料で頂くよう、塩、大野醤油、梅肉、ポン酢と用意されておりました。また、冷たいものは冷たく、熱い物は熱く、しっかり料理毎に出来立てで提供されていたのも良かったです。食事開始から概ね2時間。最後のデザートまでしっかり頂き、大満足でした。
食事会場を出ると夜食が準備されており、寝る前の一杯のおつまみが用意されてました。
入浴後、館内を散歩。「秀峰閣」時代を知らないですが、多分当時とはまるっきり変わっているのでしょう。今時の高級旅館に相応しい調度品、館内のデザインでありますが、一方で「秀峰閣」時代のレイアウトはそのままのようで、例えば大宴会場もそのまま 残されて、ちょっとした大人数のイベントに対応できるようにしてありました。当然ですが、「花咲くいろは」に関わるものはありませんでした。また、旅館やホテルの定番だったゲームコーナーはなく、その代わりにビリヤードや卓球、ダーツといったものが用意されていて、そこで自由に楽しむことができます。
外を見ると、ポツリポツリと見える他旅館の明かりだけで、金沢市内の明かりも届かない程に闇が広がっておりました。金沢市内から10km足らずなのに、これほどの静寂があるのは新鮮でした。この後部屋に戻り、夕食後に調達した夜食(つまみ)とフルーツ盛りでビールで飲み直し。いい感じでほろ酔い気分で就寝しました。
6時過ぎに起床。まずは大浴場で朝風呂。日の出前の湯涌の里は静寂で、すっきりとした青空と刻一刻と明るくなっていく景色を見ながら朝風呂は最高でした。ここでも一人貸切で、それも一番風呂でした。
朝食は、昨晩と同じ食事会場で。朝食と言えど結構な品数で、それでいてどれもこれもご飯が進む系統のおかず。朝から食が進みます。また、どのおかずも優しい味付けで、前日に飲みすぎてもいける内容でした。
食事を済ませ、帰り支度。宿泊客が少ないこともあって、チェックアウト時のロビーは自分達だけ。昨晩、駐車場に止めてあった車の台数を数えてましたが、10組もいたかどうか。稼働率で考えれば半分以下。「花咲くいろは」での喜翠荘は、固定客中心で全般的に客数が少ない旅館として描かれてましたが、そうした状況にちょっと重なりました。一方で春先の平日だったとはいえ、依然として観光業界の厳しさを感じた瞬間でした。もっとも、このコロナ禍で三密を避けることを思えば、こういう旅館を選択して旅行することは全然ありかと思います。
お見送りは一人。他の大規模な旅館と違い少ない部屋数であることと、宿泊客数が少ないこともあったかと思いますが、少人数でスタッフを業務させているのでしょう。遠方から宿泊して、大人数でお見送りを期待している人には、ちょっとがっかりするかもしれません。自分的には気にしませんでしたが。
こうして、平日のプチ旅行&贅沢旅行は終わり。自宅に戻り、その足で出勤しました。
2)「ふくや」の妄想
ここからは、アニメのストーリーと紐づける視点で、「ふくや」モデルのこの建物が残った経緯を記載してみます。
なお、ここで書かれていることは公表されている事実をもとにしておりますが、私個人の勝手な感想、推測であることをご容赦ください。
現在運営母体となっている「百楽荘」は、元は能登九十九湾にある「百楽荘」です。この宿の経営者(現社長)は、実母が経営していた同旅館が経営不振となり、その再生を任される形で引き継ぎました。その後、限られたリソースの中で利用者のニーズにマッチする方針で組織改革を行い、全国的にも評価の高い旅館への生まれ変わりました。このあたりの詳細を見ると、「花咲くいろは」の中で祟子がやろうしていたコンサル、あるいは皐月が喜翠館でお客として宿泊した時の、従業員に対する指摘に沿ったものであることが、当時の旅館に求められていたものを、この作品でも触れていたことが解ります。
一方の「秀峰閣」ですが、湯涌温泉の「お宿 やました」から1962年に分かれて法人化された旅館でした。「花咲くいろは」で湯涌温泉が聖地化された中で、現存する旅館として、アニメファンから一目置かれる存在となり、また北陸新幹線開業とインバウンド需要で業績そのものは良かったようです。しかし、後継者不足と従業員の確保の面で、事業の存続が厳しいと判断し、2018年3月17日に閉館となりました。このあたりもまた、「花咲くいろは」において、長年の片腕でもあった豆じいこと電六の引退、息子の縁が力量不足と判断して「喜翠荘」の閉館を決めたスイとも重なります。
閉館を決めた当時の「秀峰閣」代表者は、このままま経営を続けて倒産となると従業員を路頭に迷わすことになるとともに、作品を知って常連となったお客様に対しては、この建物が第三者の全く事情を汲まない企業へ土地を含めた競売をかけられ、結果建物が解体されることでの湯涌温泉全体への影響を危惧したのではないかと思われます。
秀峰閣の閉館の相談を受けた主力銀行、温泉協会は、その意向を汲んでくれる相手をとして百楽荘へ持ちかけ、百楽荘側もまた事業拡大を推進する中で秀峰閣の建物含めた資産を買収する判断をしたと推測されます。
一方で能登での成功を収め、すぐ隣に2館目をオープンさせていた「百楽荘」の代表者は、当時の状況を知らないはずがなく、同アニメで集客増に繋がったこの建物そのものに価値があることを認めていたとも思います。
百楽荘として新装開館するにあたり、利用者のターゲットを女性、ファミリー層に絞ることで設備を一新します。当然ながらそうしたターゲット向きであるので、「花咲くいろは」に関するものは置かない方針としました。一方、建物そのものの価値の棄損を避けるべく、敢えて建物の建て替えや外装の大幅な改修は行わず、旅館名を表示していた柱部分は何も掲げず、可能な限り外観は作品通りに残すことで、同作品を知って訪問するファンの期待を応えたと推測します。
そしてその期待を象徴するのが、建物名に「いろは」の名をつけたことではないでしょうか。その気になれば、違う名前をつけることができたはずです。それでも、「いろは」という名前を選定したということは、湯涌温泉に来るファンに対する配慮でもあったかと思います。また、原作著作権を持っているPA.WORKS等から苦情等がないところみるに、事前に使用の許諾をとって筋を通しているとも考えます。
また、象徴する建物がなくなることの文化的、観光価値の棄損は、原作のモデルとなった白雲楼の建物を守り切れなかった湯涌温泉の関係者ににはよく理解していたから、湯涌温泉関係者も建物名に「いろは」をつけることに異論はなかったと思います。
こうして、2018年12月に「百楽荘 -彩心IROHA-」として再オープンを果たし、聖地のひとつが残ることとなりました。
3)「花咲くいろは ~いつか咲く場所~」を読んで
先日「花咲くいろは~いつか咲く場所~」が完結しました。
本作は、喜翠荘が閉館して7年後に緒花が喜翠荘再開に向けて奮闘する姿を追ったストーリーです。その中から、「お仕事」の側面でいくつかの場面をもとに感想を述べてみます。
1)自分の想いを相手に理解してもらうには、自分の言葉で自分で語ること
雑誌記事を発端に始まった緒花達への批判の最中、世間への誤解を解くために緒花はこう発言しました。
「…… 私、思ったんです。ちゃんと言葉 にしないと…… 自分で語らないと…… 本当の意味では、わかってもらえない。 想いは伝わらない」
引用:藤本透. 花咲くいろは~いつか咲く場所~ 第五話 (P.A.BOOKS) (Kindle の位置No.1132-1133). 株式会社ピーエーワークス. Kindle 版.
現実の社会では、例えば組織内において自分の主張をしたくとも様々な外的要因、あるいは本人の性格にみられる内面的理由により、自分の想いを伝えることが難しいと感じる方々が多いと思います。今回の後日譚の緒花の活躍を見て、「所詮、伝えた所で伝わらないし、夢物語で現実ではこんな奇跡は起こらない」と諦めに似た感想を持たれるでしょう。17歳の緒花が喜翠荘にやってきた、最初期の頃の民子と菜子にかぶります。
でも、それって本当にそれでいいのでしょうか? 私は、普段は自己主張をしない性格です。上司の方針や他部署の意見に流されたり。ただ、普段言わない分、ここ一番で覚悟がいる場面で、はっきりと自分の言葉でかつ自分で語りました。その結果、周りの評価が変わる、あるいは人生が変わった場面がいくつもありました。この点は、劇場版の菜子が両親へ抗議した場面に重なります。
人を動かすには自分が何をしたいかを明確にしなければなりません。でなければ人は動きません。これはなにも管理職だけの話ではなく、一担当者でも同じです。営業担当が判りやすい例になりますが、お客様の要求仕様に対して社内の体制、納期、価格の折り合いをつけなければなりませんが、ここで自分自身がお客様に対してどう説明、納得させるかを自分自身で決めなければなりません。ここで自分の考えをまとめないとお客様も社内関係者へも納得させることができません。一例として営業担当を上げましたが、本作品における緒花自身にも度々類似の場面があり、その都度緒花は思考を繰り返し、解決に向けて動きました。信金担当者との交渉、芸術祭開催に向けての旅館組合との交渉etc。
なお、今回の話では緒花だけではありません。この言葉を引き出す切っ掛けとなった水野枝莉もまた、自分の想いを言葉にして伝えています。さらに、スイも重要な場面で自分の内面を緒花に語り掛けてます。
自分の言葉で語ることの大切さを経験してきたこそ、緒花のこの言葉に共感できるし、これからもその気持ちを大切にしていきたいと思っています。
2)自分は何がしたいか、それはどうやったら実現できるのか、考え続けること
17歳の緒花が「四十万スイになる!」と誓ったあの日。喜翠荘を「旅館」として再開することを夢見て何をしてよいかわからぬまま過ごしていた日々。亡き父が残してくれた作品を喜翠荘でギャラリーとして復活していく中で、喜翠荘のあるべき姿を模索し、緒花自身もまたかつての喜翠荘のメンバー達も自分自身の道を進んでいく姿を見て、自分も変わっていかなければならないことを認識していきました。その過程で、緒花は常に自分自身がどうありたいか、模索し続けました。そしてひとつの答えを導き出し、次のステップへ向かう所で話は終わります。
登場人物もまた同じです。アニメ版ですが、縁が喜翠荘を立て直そうと奔走している様は、その代表的な例でしょう。縁の場合、喜翠荘閉館後に「ふくや」へ再就職して旅館業を一から学び直し、本物語においては組合の専務理事を任されるまでに成長しております。喜翠荘の再興であったものが、この時には湯乃鷺温泉全体の再興を目指して活躍しており、縁自身も成長の中で試行錯誤を続けて、今の位置にたどり着いたと思います。
私もいい年になってますが、夢の実現に向かって今の仕事に就くまで考え続けました。元々は鉄道好きで、将来は国鉄に入りたい(当時)から民営化になってJRか私鉄に入社したいと夢見ていました。また、自分の故郷は空が高く、所謂「天使の梯子」の発生頻度が高い地域でした。いつも学校の帰りに梯子のかかる高い空を見上げて、いつかは故郷を飛び出したかった気持ちも強かったです。皐月が旅館の女将を継ぐことを拒み、狭い湯乃鷺の地を飛び出して「輝きたい」と夢見た18歳に重なります。当時は必死に受験勉強をして、めでたく県外の大学へと進学し、見知らぬ土地で新しい人生を歩み始めました。
秋~冬に現れる「天使の梯子」。光芒の向こうと高い空の先を夢見ていたあの頃。
しかし、大学卒業時にはバブル崩壊で就職氷河期に突入。在籍していた大学的には機会が全くなかったわけでなかったものの、自分の実力不足と採用数減により採用されず。その後、就活においては、まさに「自分が何をしたいか」を問い続けました。その結果、とある規模の小さい自動車系のメーカーへ入社。仕事自体はそれなりに満足していたものの、給料の安さと会社の将来性の不安を持つ日々。とは言えここでやめると自分の夢から遠くなりそうな不安がよぎり踏ん張りましたが、結局自分の実力不足からくる仕事のストレスで退社することに。次の就職先を探すも、自分の希望する業種の企業募集がなく、およそ遠い業界の企業へ就職しました。しかし、仕事も勤めていた組織のメンバーともそりが合わず、1年足らずで戦力外通告。そのまま自主退職しました。改めて、自分がやりたいことを仕事にしなければこれから先頑張れないだろうと再起をかけて企業探し。30歳を過ぎて結婚もしたばかりの中、粘り強く妥協せずに探し続けた結果、1社目のキャリアが決め手となって、鉄道系にも関われるメーカーへ再就職を果たし、今に至ります。
今は勤めている先で、その会社で新たにやりたいことを捜し続け、見つけては実現に努力を続けてます。この考え続ける気持ちを持ち続けたいと思います。
3)仕事に誇りを持ち、プロフェッショナルであれ。さすれば機会は巡る。
四十万スイを筆頭に、登場人物のすべては自分自身の仕事に誇りを持ち、日々切磋琢磨してプロフェッショナルとしての高見を目指しております。自分が何をしたいかわからなかった17歳の菜子は、今回の話でケーブルテレビ会社勤務となって自分の道を見つけたことを述べ、誇りをもって仕事をしております。その意識が芸術祭に向けての活動の原動力となって実を結び、佐藤真理子への取材に成功します。菜子だけではありません。蓮二、民子もまたそうです。蓮二は自分の店を持ち、民子は芸術祭ではメインを担当することになります。そして究極は佐藤真理子。綾人との仕事をきっかけに女優としての道を目指し、やがて主役のチャンスが巡ることになりました。
2)で述べた私の職歴がそうですが、新卒での就職がうまくいかなかったにもかかわらず、自分自身腐らずに地道にキャリアを積んだ結果、今の地位を得ました。よく、世間では就職氷河期世代は恵まれなかったために、不幸な人生を送っている人々が多いと言います。確かに外的要因に振り回されたことは事実ですが、そこで前述の1)や2)の意識をもって、腐らずその道を究めてきた人達は、めぐってきた機会を逃さなかった。そうでなかった人々はもれなく沈んでいったと思っております。だからと言って安心しておりません。明日は我が身である危機感は常に持っていて、日々の業務で新しく得た知識や経験を糧に、生き残る努力を続けております。
4)人の数だけドラマがある。そのドラマは自分が創るもの。
最終話のぼんぼり祭りで、ねがい札への書き込みに緒花は、
私にしかできないこと、私だけのドラマ ─ ─
『 私 らしく 咲く』
─ ─ 私だけのドラマを起こす のは、 他の誰でもない、私しかいないから。
引用:藤本透. 花咲くいろは~いつか咲く場所~ 第六話 (P.A.BOOKS) (Kindle の位置No.878-879). 株式会社ピーエーワークス. Kindle 版.
別に芸能人とか有名人がとかでなく、私たち一般人も自分のドラマでは自分自身が主人公です。みんなが自分のドラマを創って生きているのですが、みんなそれを意識しておりません。しかし、その無意識を掘り起こさせ対峙するのが本作の核心と思います。シリーズ通して単にキャラの可愛さとかカッコよさ、聖地巡礼的視点だけで本作を読むのは片手落ちではないかと考えております。
自分は咲いているのか? 咲いていないのであれば、それを咲かせる努力をしているのか ? 今、こうしてこの記事を書きながら、自問自答を続ける日々です。
5)終わりに
「お仕事」の側面で私の経験と人生観と照らし合わせながら、人生まだまだこれから先もあってがんばろうと、再認識をするに良い切っ掛けであった本作でした。願わくば、本作をアニメ化して欲しいとも思った次第です。脳内変換しながら読み進めましたが、やっぱりアニメでも見てみたい作品です。緒花だけでない登場人物すべてが「ぼんぼっている」姿を、この作品に関わった人達すべてが10年を経て成長と変化されてきたP.A.WORKSの手で、同じく10年の時を歩まれたTVシリーズの声優を起用して映像化して欲しいものです。
最後になりますが、このコロナ禍でみなさんが厳しい状況に置かれていると思います。舞台となった湯涌温泉も集客ができず、緒花達が利用するローカル線の舞台となったのと鉄道も観光需要激減で、イベントもままならない状況です。「花咲くいろは」のモデルとなったいくつかは、閉店を余儀なくされた所もあります。仕事に誇りを持ちプロフェッショナルな人々が、外的要因でその道を続けられなくなるのは悲しいことです。現地に行けなくとも、例えば名物のものを購入するといったことなど、できる範囲で少しでも支えていくのが、ファンの在り方と考えております。私も可能な限り、好きな事、物には支援をしていく次第です。
こんな時期だから、一人ひとりが「ぼんぼる」気持ちで。そして、この難局を乗り越えて明るい未来にたどり着くことを願って。