1)1枚の写真からの調査


それは、過去撮影したネガ、ポジをデジタル化の作業で、とある1枚の写真からでした。

 友人から「和歌山に列車ホテルがあるから、海水浴と合わせて行こう」との誘いを受けて訪れた時に、自分が撮影したものです。
 当時、事前の情報なく訪れた際に驚きと感動を受けました。所属明記に「米ヨナ」の文字を見つけ、即座に「さんべ」用で使用されていた20系であることが解ったからです。
 貨物輸送の大幅転換期となった所謂「59・2(ごーきゅうに)」と呼ばれる昭和59年2月ダイヤ改正の直前に出雲市駅の貨物扱いが廃止され、使われなくなった留置線は大量の余剰車が疎開留置されることになりました。その中に「さんべ」用で使用されていた20系(ナハネ20、ナハネフ22、ナハネフ23)が、最終運用時の組み合わせと思われるままで留置されました。

当時の出雲市駅構内に疎開された車両。「さんべ」用の20系が見える。また、中央奥に今回の調査対象となったナハネフ23も。1984年3月頃撮影。

当時の出雲市駅構内に疎開された車両。「さんべ」用の20系が見える。また、中央奥に今回の調査対象となったナハネフ23も。1984年3月頃撮影。

 残念ながら、20系「さんべ」そのものは撮影できなく(当時は小学生で、撮影が事実上不可能だった)、自分が撮影できたのは夜行「さんべ」廃止後に疎開留置されていたものでした。
 その後、これらの車両はいつしかいなくなり、当時の自分の情報能力では処遇を知らないままでした。

 そのような状況で、まさか和歌山で列車ホテルとして活用されていることを知らず、訪問した時には「え??、マジか!」と思ったものです。ただ、この時残念だったのは、20系の方はこの時すでに老朽化が著しくすでに宿泊施設として使用不可となっており、この日は室内をカーペット敷きに改造された旧客(多分オハ43か47あたり)で宿泊となりました。 

 

 さて、時は過ぎ2021年。過去のネガのデジタル化推進の中で見つけた1枚。写真を見てすぐにその当時のことを思い出しました。が、この車両があった宿泊先やヒントとなる資料を全く残しておらず、記憶を呼び起こすこともできません。しかもこの時撮影したカットはわずかで、併設の建物とかを写したカットもなし。当時誘った友人も覚えていなく、自力で調べるしかなくなりました。

 「まあ、このご時世。保存車を追っかける同業者のサイトかキーワード検索でヒットすればすぐに判るだろう」と思ったのが甘かった。いくつかの保存車系サイトを見るも全く情報なし。あっても三重県亀山市にある「ゲストハウス関ロッジ」のみ。最も今回の調査で、こちらも同じく出雲市駅にあった20系の1両であったことを知りましたが。    

 検索ワードを「和歌山 20系」「列車ホテル 和歌山」「20系 保存」など(後述するが、ここであるキーワードでひっかけたら判明していた)思いつくワードで検索するもヒットせず。
 それらの検索結果から、Twitterのとある投稿でEF58牽引による甲種回送の記事を発見。

調査の進展の一つとなったツイート(ぽん_駅メモ
@POM_ekimemo
承諾済み)

             調査進展の一つとなったツイート(ぽん_駅メモ @POM_ekimemo様 承諾済み)

 これにより移送時期が1985年6月であることが判明。さらに、雑誌「鉄道ファン」の1985年8月号「POST」投稿記事に6月7日であることと、御坊の施設に売却されるための回送であることが判明しました。しかしどちらの情報も、具体的な宿泊施設名は記載されておりませんでした。

 そこから、近くの図書館にあった「鉄道ファン」を1985年6月以降からかたっぱしに調査。一つは保存車か20系に関する雑誌社の特集記事、もう一つは個人投稿記事によるオープン情報の記載や実際の利用を紹介した記事がないかを調査。しかし、2000年まで調べるもヒットなし。

 いよいよ手詰まりとなった状況で、とある廃墟系サイトで確認している中で当時の施設を空撮での紹介をされているのを見て、「当時の空撮から探せるのでは?」と思ったものの、「御坊」という地名から空中写真でみるも、とても車両が判別できるとは思えず断念。しかし空中写真を眺めている中で、「確か宿泊した施設は研修施設のようなところだったのでは?」ということと、御坊ICからそう遠くない場所にあった記憶から、それらしい施設を調査。

 すると、御坊南ICのそば(当時はなかったかも)に「南山スポーツ公園」なる施設を発見。公式HPはなく、施設の紹介をしている記事を見るも、宿泊を兼ねた施設の記載はなし。また、画像検索するも研修用の建屋の画像がなく、「これも違うかあ」と思って、何気にストリートビューで附近の画像をみると、記憶に残っていた建屋を発見。

「もしかしてここじゃね?」と、ここからもう一度1992年4月29日の空中撮影を見ると、現在のgoogle画像と異なって明らかに細長い物体が6つ写っていることを発見!
 さらに検索キーワードをこの施設名含めて再検索かけると、ここの施設の改修に関する記事を発見。その中に、

「85年には当時流行していたトレインロッジを6台設置し、宿泊客を受け入れていたが、利用者減少と車両の老朽化に伴い撤去。」
~出典:日高新報 2020年4月30日記事より~

 やっと判明しましたよ。当時宿泊した場所は、和歌山県日高川町(当時は川辺町)にある「南山スポーツ公園」内の「若者センター」で、建物名?は「トレインロッジ南山」でした。

 そして、「トレインロッジ」というワードで再度検索すると、和歌山県のHPの中に「和歌山フォトライブラリー」なるページがヒットし、そこに在りし日の車両が写ってました。



トレインロッジ南山(川辺町若者センター内)A
トレインロッジ南山(川辺町若者センター内)B

※いずれの画像も和歌山県より承諾の上、掲載。この場を借りて御礼申し上げます。

 

2)「さんべ」用20系のことと、どの車両が引き取られたか?

 25年の時を経て、ようやく宿泊先名の詳細が判明しましたが、ここに引き取られた20系は一体何番だったのか?
 前述のとおり、各車両の車番を撮影していないため別の方法で調査してみました。

 

 ナハネ20形1000番台  1309・1313・1324・1354
 ナハネ20形2000番台  2220・2237・2243・2314
 ナハネフ22形1000番台 1004・1005・1013
 ナハネフ23形1000番台 1019

 このうち、ナハネ20 2237は 、「ゲストハウス関ロッジ」の所有であることを確認済み。
 また、前述の回送記事からナハネフ23が1両とナハネ20が2両であることを確認しており、おのずと1両はナハネフ23 1019であることは確定。では、ナハネ20は?  

 
 1987年ごろの撮影ポジには、ナハネ20 1313 と 2314が撮影されており、これも除外。残りは
  ナハネ20形1000番台 1309・1324・1354
  ナハネ20形2000番台 2237・2243

 「hagiのホームページ」という個人ブログに20系の所属履歴がまとめられており、ここの中に米ヨナの20系のページ

 https://www5.big.or.jp/~hagi/rail/lexp/20/yona.html

に、1985年6月8日付で、ナハネ20 1324 と 2243が廃車となっており、御坊への回送日付翌日であることから、確定。ちなみに同日にナハネフ23 1019もあり、これによりこの施設へ譲渡された車両は

ナハネ20 1324 ナハネ20 2243 ナハネフ23 1019

であることが判明しました。

 個人ブログで、しかももう何年も放置されているっぽいページでありますが、おそらく鉄道雑誌等で公表された情報をもとにまとめられていると思われ、信頼できる情報と判断しております。

 さて、この車両達がいつ解体されたのか?という点に移しますが、これは具体的な情報がなく、空中撮影からの推測となります。

 

1997年4月26日撮影。国土地理院空中撮影写真から。この時点で車両が写っている

1997年4月26日撮影。国土地理院空中撮影写真から。この時点で車両が写っている

2002年5月21日撮影分。すでに車両はなく、更地となっている。

2002年5月21日撮影分。すでに車両はなく、更地となっている。

 

これら二つの写真から、1997年4月26日から2002年5月21日の間に解体されたことが推測されます。

3)終わりに

 1枚の写真からの調査でしたが、「トレインロッジ」でないと検索に引っかからないなんて、「こんなん判るかー!」の一言でした。昨今のネット検索は、ホントにピンポイントの言葉を入れないとヒットしないぐらい、上位にノイズサイト(と自分は勝手に読んでる、所謂検索上位狙いに特化した、情報が薄っぺらいサイト)に汚染されており、今回も実本含めて様々な手段での検索スキルが必要であることを痛感しました。
 また、雑誌「鉄道ファン」以外の鉄道系雑誌や1990年代以降に発行された保存車両をまとめた商業誌、あるいは同人誌にはもしかすると、この車両達の存在が明らかにされていたかもしれません。しかし、ネット上においてこの車両を取り扱った記事やSNS発信は見受けられませんでした。少なくとも、旧客含めて情報として発信すれば自ずと一般的なキーワード(20系、旧客、列車ホテルなど)が文面に残ることで検索ヒットすることを考えれば、この列車ホテルをネット上に紹介したのは、初出かもしれません。仮に過去にHP等を開設してアップしていたものの、何かしらの理由で閉鎖されたとしても、そのHPを閲覧した訪問者の中から自分自身のHPやブログに掲載されることで情報が継承されていくと考えれば、やはりネット上での紹介はなかったかもしれません。また、SNSが広く普及する前に車両が撤去されたことで、一般人含めての利用の口コミにも残らなかったことも理由にあろうかと考えております。

 この記事でもって和歌山県に20系と旧客を使用した列車ホテルがあったこと、そしてそれが縁もゆかりもない山陰の地で活躍した車両であったことを広く知ってもらいたい次第であるとともに、今回調査しなかった旧客や実際に宿泊した方の情報を頂ければ幸いです。