序章)投稿のきっかけ
1990年3月31日に廃線となった大社線。廃線直前となる3月17日と18日にSL列車「SL大社号」が運行されました。地元人のみならず各地から撮影と乗車のためにたくさんの人が集まりました。
2012年1月3日にブログで2枚のカットをアップしたのですが、その後時折検索で本列車を検索するも、まったくと言い程画像が上がりませんでした。あの日あれだけの撮り鉄が集合していたのに、みんな何処に行ったのか・・。2012年時点では、フィルムスキャナは届く価格帯でしたし、デジタルカメラを使った複写手法も可能な環境でもありましたが、それでも一向に紹介されません。動画はさすがにVHSからの取り込みと編集環境がまだ一般的でなかったのですが、それでもハードやソフトが広く使いやすくなった2015年以降になってもYou tubeやニコニコ動画にアップされなかったと記憶しております。そうした中、当時のVHS撮影からデジタル化された映像がアップされたものが、この1~2年にxでも観測され始めました。
また大社駅の改修工事が完了したこのタイミングで、「生きた駅」の大社駅にあってその日に貴婦人がやってきたことを後世に残すため、今回残していたポジフィルムをブログにアップすることにしました。
第一章)運行1日目
SL大社号は3月17日と18日の2日間で各日3往復が設定されました。
SL大社1号 出雲市 9:51発 → 大社 10:08着
SL大社2号 大社 10:28発 → 出雲市 10:47着
SL大社3号 出雲市 11:30発 → 大社 11:48着
SL大社4号 大社 12:03発 → 出雲市 12:22着
SL大社5号 出雲市 13:01発 → 大社 13:19着
SL大社6号 大社 15:05発 → 出雲市 15:24着
使用されたのは、山口線で運行していた「SLやまぐち号」で運用されていたC57 1号機にレトロ客車編成。大社駅はターンテーブルがないため、下りはバック運転でした。
3月17日は出発式を見届け後、SL大社1号に乗車。未だにどうやって指定席が確保できたのか思い出せません。たぶん父の知り合い通じて確保したかもしれません。



大社駅から普通列車で出雲市駅に行き、そこから乗車。短い区間なのでわずか17分の乗車で、あっという間に終点大社駅に到着しました。大社駅到着後、ここからは沿線撮影に向かうべく、自転車で出雲高松~荒茅間の撮影地へ移動しました。

最初の撮影は出雲高松~荒茅間の開けた区間。このストレート構図地点と画像後方のカーブとで200人ぐらいはいたと記憶してます。ここでこの後のSL大社3号を撮影して大社駅へ移動しました。


当然ながら大社駅周辺は相当数の同業者や地元人が集まっておりましたが、こちらの場所はこの画像に見えるように同業者が構図に入ることで、前方より同業者少な目でした。個人的には腕木信号機と後方に見える大鳥居が入るお気に入りの構図の場所だったことから、敢えて彼らも構図に入れた撮影でした。結果論ですが、彼らも構図に入れたことで当時の賑わいとかの記録としての絵になりました。
しかしここに映っている人達が撮影した写真は、この先もネット世界に流れずに埋もれていくのでしょうか・・・。
SL大社4号撮影後、大社駅に移動。こちらで機回しやタブレット授受の様子を撮影しております。SL大社6号は3番線からの出発でした。

1号と3号は到着後すぐに機回しを行って上り2号と4号の出発に備えましたが、5号は3番線に入線させ、ここで撮影タイムを確保しておりました。なので、5号到着後の機回しは1番線を通過するため、このような絵が撮れました。

3番線での撮影タイムは今なら厳しい規制線を張っての撮影会でしょうが、この当時はそうした規制線はなく自由に撮影できました。
そして今回の画像の詳細を検証して、初めて気が付いたことが。それは機関区票が左右で異なっていたことでした。機関士席側は「米」,助手席側は「郡」が差し込まれてました。



3番線からの出発ということで、3番線出発信号が進行現示を捉えた構図で撮影しました。この日はこれで撮影終了。
第2章)運行2日目
翌18日は前日から打って変わって大荒れの天気となりました。自転車移動だった自分には、沿線での撮影は難しく、この日は大社駅に張り付きでの撮影でした。

結構な風が吹き、小雨も混じる中、SL大社4号の出発では奇跡的な煙の形状と進行現示を示す1番線出発信号との絵を撮影することができました。



この日は下り列車の撮影はあきらめて、上り2本に集中しました。最後のSL大社6号は前日同様に3番線出発でしたので、昨日とは別の場所で撮影しました。
こうして2日間にわたって運行された「SL大社号」の撮影は終了、帰宅の途につきました。
第3章)試運転のこと
本番での運行と撮影は以上ですが、本番前日?だったかの深夜に試運転が実施されることを聞きつけ、夜中に自転車をかっ飛ばして大社駅へ。果たして深夜1時過ぎの大社駅にC57はいました。当時の情強の同業者も多数来ており、たぶん20人ぐらいいたと記憶しております。今更ながら、もうちょっと撮影しておけばよかったのですが、それでも、この日にC57がそこにいたことの証が記録として残せたことがよかったです。
なお、小郡(現新山口)から出雲市までの回送は有火回送で、爆炎を上げて深夜に回送されたとの噂を聞いたのですが、真偽は不明です。

そして、この列車を撮影した画像や動画は2026年6月時点で未だネット上で見かけません。あの日あの場所にいて撮影した情強撮り鉄はどこにいったのでしょうか。
終章)結びに変えて
当時の鉄道雑誌でも、同時期に廃線となったローカル線の話題に被ったこともあって、あまり大きく取り上げられませんでした。その後もネットでほとんど上がってこなかった「SL大社号」。この投稿をきっかけに、あの日、あの場所にいた方々が撮影した画像がもっと紹介されることを願って、この撮影記を締めます。

SL大社1号に乗車した際に配布された乗車証明書。